2月26日の練習
指揮者が指揮棒を構えた。
僕もトランペットを構える。
その場を緊張感のある静寂が包む。第一の静寂である。
本日最後の通しが始まる。
曲は『アイヴァンホー』、定期演奏会第1部のメインである。
演奏会まで1ヶ月を切っている。
指揮者の表情は真剣である。
いや、正確に言えば、真剣であった気がする。正直よく覚えていない。
こんなこと、指揮者に知られたら僕の立場はもうないだろう。
吹奏楽を愛好する者にとって、指揮者は神である。SHIKISYA is God.
もちろん、半分冗談である。
指揮が動き始める。より強い緊張が走る。
我々のファンファーレで曲が始まった。
揃った。悪くはない出来である。
神様にも安堵の笑みがこぼれた。
曲は6/8のリズムに移り、勇ましくかつ軽快に―まるで騎士が荒野を駆け抜けていくかのように―進んでいく。
ふと、とある指導者の「日本人であるうちは6/8は演奏できない」という言葉が脳裏を過った。
僕は今、日本人を捨てることができているだろうか。
いや、まだまだである。もっと前進感を出せるはずである。
そんな回想の最中、曲は中間部へと移行した。
前半部とは対照的に穏やかなメロディが流れる。
しかし、ここで異変に気がついた。
奏者がいつになく苦しそうな表情を浮かべている。
空気が重い。演奏も重くなっていく。
しかしその原因は、練習前から予期できる程に恐ろしく明確であった。
......酸素が足りない......。
ここは密室である。
吹奏楽は一種のスポーツとも言える。
必死に息を吸い、全力で楽器に流し込む。
初心者の頃は、よく気を失いかけたものだ。
酸素が足りなければパフォーマンスは落ちるものである。
また、思考までもが停滞していく。
僕はやっと、これはボスからの試練なのだと気がついた。
本番のステージが最高のコンディションであるとは限らない。
我々は一音楽家として、つまり聴衆に感動を届ける身として、どのような環境であれ最高の演奏を奏でられなければならない。
この環境はボスの粋な計らいであり、愛情であるのだ。
今になってついに気づいた自分の未熟さを情けなく思いながら、どうにか曲を繋ぐ。
意識が朦朧とする、なんて考えているうちに本当に朦朧としてくる。
場の険しさが増していく中、曲は後半部へ突入した。
打楽器が先陣を切り、音楽は一瞬にしてその表情を変える。戦闘が始まった。
打楽器の勢いを管楽器が追いかける。
奏者は人格が変わったように、眼を見開いて指揮を凝視する。
もはや、酸欠など意識の内にない。いや、意識すらもないだろう。
一人一人の音が激しく、時に荒々しく鳴り響き、複雑に絡み合う。
何かを気に掛ける間もなく、曲はクライマックスへと移行する。
fffの厳かな響きは、奏者の魂の叫びである。
ラストの音が壮大かつ荘厳に鳴り響く。
神様は左手を閉じた。
一瞬の余韻の後、その場は開放感のある静寂に包まれる。第二の静寂である。
神様は、再び安堵の表情を浮かべ、ゆっくりと指揮棒を下ろした。
僕は崩れるように楽器を下ろした。
※このストーリーはノンフィクションです。
【Tp:シムタク】
※前回の質問内容「シンパでの思い出話」はトランペットパートによりスルーされましたので、次回トロンボーンパートさんお願いいたします(笑) by広報係
Simpatia Wind Orchestra 第8回定期演奏会
◾︎2017年3月19日(日)
会場:海老名市文化会館 大ホール
時間:14時00分 開演 (13時30分 開場)
※開場と同時にロビコン実施予定(13時30分〜13時50分)
◾︎入場無料・全席自由 ◾︎未就学児入場可(親子室有り)
【曲目】
セドナ、グリーン・スプラッシュ・マーチ、
カンタベリー・コラール、アイヴァンホー
SAKURA / いきものがかり、スペイン、千と千尋の神隠しハイライト
他 数曲